|
||||||||||||
|
||||||||||||
目次
|
||||||||||||
★サラリーマンの宿命?会社の裏切り | ||||||||||||
私が17年間勤務していた会社は、入社当時は大手企業の系列でもあり、業績も順調に伸びていました。会社を信じ、上司を信じ、そして私自信を育ててくれたのが、会社であり上司だったのです。遊び人であった私が、仕事が心からおもしろいという気持ちになり、しばらく順調に過ごしました。私の仕事は営業マンでした。 | ||||||||||||
思えば遊び好きがたたり、降格された事(○○営業所所長→統廃合により△△営業所の主任)もあったのですが、会社で当時最年少の課長に就いた頃は既に落ち着いており、俺が目指すのは課長などでは無く、経営者なのだと言い聞かせていたものでした。 悲劇はそれから2年ほどでやって来ました。 |
当時は会社幹部も交えてゴルフを良くやっていた。 会社のゴルフ同好会のコンペで |
|||||||||||
それまで心から感謝の気持ちを持っていた、上司との関係がだんだんと悪くなり始め、いつの日か退職願をカバンに入れて持ち歩くようになりました。 バブルの崩壊も手伝い、上司(部長)が担当している部の実績が、ジワジワと落ちていき、私個人はといえばマイペースで、自分の数字だけは安定して過ごしていましたが、成績の悪い営業マンに対する言葉があまりにもひどくなり、せめて朝礼の間はみんなが張り切って出かけられるような声を掛けてくれなきゃ、やる気が起きるどころか、朝からやる気をなくしてしまうぞと思っていたのですが、案の定悪循環が続き、上司のカミナリが激しさを増すばかりでした。 |
||||||||||||
「怒鳴りたきゃ怒鳴って結構ですが、その後のケアを忘れてるんじゃないですか。これじゃあ彼は絶対に売れる物も売れなくなってしまう」。ある日の活動日誌に、そのような内容を書いて提出した事もありました。「あいつは辞めさせたいんだよ」と言う、想像もつかなかった上司の言葉があり、ショックでそれ以来こんな人にはついていけないと思うようになりました。 ある日の朝礼での事。部長は他の部署に就くダメ社員を例に上げて演説していました。「机の上は散らかっている。席を立つ時は椅子を机の下に収納せず、そのまま出かける。そんな奴ほどろくな仕事ができない」。ごもっともな話しです。こういうことなら私も同調します。しかし、我が部署において椅子を机の下に収納せずにいるのは何を隠そう「部長!あなた自身なのですよ」。 細かな部分まで暴露すればきりがないのでこのあたりでとどめておきますが・・・。 |
||||||||||||
キャンペーン旅行(バスの中で)、中央が当時のこめこめ。 |
それに輪をかけるように、私達が住む下界とは違う、別世界に住んでいた社長の、ワンマンで豊満で、娘や息子達に借り(?)があるからと、何億もの投資をして、我が子専用の職場を作り、大赤字を続けていながら、我々現場のリストラを積極的に進めても、その大赤字の場所はリストラどころか、更に資金を掛け、社用車として子どもに高級車を買い与え、最後には倒産してしまいました。倒産するまでは、そんな事情は一切知りませんでした。 |
|||||||||||
【息子達に借り】とはつまり、社長が会社の社員寮を買うと偽り、妾に住まわせるためのその社員寮は、経理を担当する取り締まりをもたぶらかし、それ以外の取り締まり役に知れたのは倒産の半年前であり、私達下部が知ったのは倒産後でした。息子達は当然その事を知っており、社長は息子達だけには頭が上がらないのでした。そして過去に有能な経理担当社員達が辞めていった事もあり、社長の腹の中を知ってしまった社員が、社長にとっては邪魔な存在だった事は、後に当時取締役で、優一会社や社員思いだった人の話でわかりました。 | ||||||||||||
倒産以来心から思った事、それは余程でなければ会社を信じない事、会社はいざとなれば氷の様に冷たい物であり、信頼できた上司でも、裏では何を考えているかわからない。信用できるのは家族以外には何も無いと感じたのでした。 | ||||||||||||
このページに関するご感想やご意見はこちら |
||||||||||||
新潟県糸魚川市能生3341-41 こめこめ農場 丸山俊夫 fax 025-561-4024 (こめこめ農場への連絡はメールかFAXに限らせて頂いております。ご了承下さい。) |
||||||||||||
HOME 戻る 次へ |