農業に対する熱い思いや、そこに至るまでの道のり、
これから、農業で生きたいと思う人たちへの、熱いメッセージを綴る!

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目次

@サラリーマンの宿命?会社の裏切り
Aストレスが消えていく
B過疎を逆手に取れ
C田舎で子どもを育てる  ふるさとの食べ物を求めて生まれた地に帰る
D田舎で子どもを育てる  服を汚す子は心は汚れない
E田舎で子どもを育てる  山の自然をふるさととして感じる日
F農業ほど自信を持ってできる職業は無い
G田舎暮らしを夢見る人達へのメッセージ
H私は自然の恵みを活かした生活を続けたい
I農業をして暮らしたい人を募集します
J農業暮らし募集の詳細
★農業ほど自信を持ってできる職業は無い
 新潟県人らしい新潟県人像として、より多いイメージは、「のんびり」、「おっとり」、「保守的」という言葉が浮かぶ(あくまでも私個人の分析)。その理由は農業にある。
 何十年前か、何百年前からなのかはわからないが、越後の国(新潟県)は資源の豊かな国であり、まじめに農業さえしていれば、食うに困らなかったのである。「新潟県」を別名「農業県」と言っても大袈裟では無い。
 食うに困らない新潟の農家で生まれた長男は、家督を継ぎ、長男以下の兄弟は都会に就職するというのが一般的であった。当然財産も何も無く、親離れさせられた弟達は、必死に稼がなければならない環境を与えられる。逆に長男は全ての財産を与えられ、さほどお金が無くても食べるものさえあれば生きていく事が可能である。生活は楽でなくても、食べることに他県ほど不自由を感じなかったのである。おまけに美味しい酒もある。競争社会などとは関係のない状態が少しは続いたのである。
 その影響で、農業においては現在でも、兼業農家が圧倒的に多く、かつては本業であった農業を切り捨てて、企業勤めに専念する人も少なくない。
長男のジャガイモ掘り

2001年夏
 そんな状況の中だからこそ、これからの農業は願っても無いチャンスであると、私は考える。
 米の輸入規制の緩和、流通の自由化等で、多くの農家は不安を持ち、思い切って廃業した農家も多いが、これから我が家の米は売れると思ったのも、同じ時期である。
 これからのお米は選ばれる時代になった。
ただそれだけであった。
 我が家の田んぼの周辺も、かつては田んぼばかりであった。しかし近年は荒れ地ばかりである。
 私はその荒れ地と化した田んぼをお借りして幻のコシヒカリを作ろうと考えている。
 何故農業ほど自信を持ってできる職業はないのか、これは、自然の恵みを利用した農業であり、何は無くとも、主食となるお米や、副食となる野菜は、日本人には絶対に必要な食品である。
 極端に言えば、電気が無くても生きられる(60年前は生きていた)。車や電車、飛行機が無くても生きられる。全ての機械類は、ある仕事を効率良くこなすための道具であり、時間さえ気にしなければ人間の手でも仕事はできる。サービス業など無くても絶対生きられる。ただそこに複数の人間がいれば、作物だけを作り、生きていけると私は思う。
 両親と私は、自信を持ってお米作りに励んでいる。
 



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新潟県糸魚川市能生3341-41
こめこめ農場 丸山俊夫

fax 025-561-4024

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